僕ははっきり言って政治に詳しくないです。
ですが、集団的自衛権の容認は、政治に詳しくないからといって、詳しい人達に判断を委ねようとは思えない問題です。
政治に詳しかろうが詳しくなかろうが、それでも判断しなければなりません。
集団的自衛権容認には反対だけど武力の強化は賛成
僕は集団的自衛権容認には反対です。
誰が作ったのか知らないですが、やっぱり憲法9条は基本的に素晴らしい理念だと思います。
ただ、攻撃されても無抵抗で殺されればいいとは思わないので、攻撃されれば正当防衛はすべきだと思いますし、正当防衛に必要な武力を保持することには反対しません。
日本が危険に晒されていて、今の米軍と自衛隊では日本への直接攻撃に対処できないというのであれば、武力を強化すべきだとは思います。
つまり僕は、自国を防衛するために必要な武力強化には賛成ですが、その武力の行使は日本への直接攻撃に対してのみ容認すべきだと考えています。
それはやはり、基本的には憲法9条の理念に共感し、極力戦争をすべきでないと考えているからです。
よって、日本への直接攻撃以外への武力行使を認める集団的自衛権には反対です。
集団的自衛権の容認が必要であるとする理由に対する疑問
ここからは集団的自衛権の容認が必要であるとする理由のうち、釈然としないものに対する疑問です。
海外にいる日本人を守れるようにするという理由に対する疑問
安部首相は集団的自衛権が必要な理由として、海外にいる日本人を守れるようにすることを強調していました。
これは釈然としません。
そりぁ海外には沢山の日本人がいることは確かでしょう。
ですがそれを言ったらきりがありません。
安部首相は集団的自衛権が必要な具体例として、現地から逃げる日本人を輸送している同盟国の輸送船が攻撃を受けた際に日本人を守れるようにするためだと言いました。
あくまで仮ですが、アメリカと中国を例に挙げて状況を想像してみます。
アメリカが中国から攻撃を受けたと表明して戦争になります。
攻撃の真偽は別として。
アメリカの支援要請を受けて日本も中国に宣戦布告します。
アメリカが逃げる日本人を輸送する名目で輸送船で日本に向かいます。
中国は逃げる日本人の輸送以外の目的があるとみて輸送船を攻撃します。
日本は中国を攻撃してアメリカの輸送船を守ります。
では、その逆パターンです。
アメリカが中国から攻撃を受けたと表明して戦争になります。
中国が逃げる日本人を輸送する名目で輸送船で日本に向かいます。
アメリカは逃げる日本人の輸送以外の目的があるとみて輸送船を攻撃します。
日本はアメリカを攻撃しません。
第三国同士で戦争が起きたら、同盟国にいる日本人は守るけど非同盟国側の日本人は守らないということなのではないでしょうか?
本当に海外にいる日本人を戦争から守るために武力を行使したいなら、世界中の戦地に軍隊を派遣して日本人がいるかどうかを確認し、日本人がいるところに攻撃している国を手当たり次第に攻撃しなければならないのではないでしょうか?
そうなれば戦争は拡大します。
そして日本が攻撃した先にも日本人はいるかもしれません。
それは日本人全てを守れたら素晴らしいですが、世界各国そこいら中に日本人がいる状況で、海外の日本人のために武力行使をしていたらきりがありません。
であれば、非常に難しい問題ではありますが武力行使可否の線引きは日本人への攻撃ではなく、日本という国への攻撃であるか否かで判断するべきだと思います。
友達が殺されそうになったら助けるのが当然という理由に対する疑問
それとよく目にする、友達が殺されそうになったら助けるのが当然だからという理由です。
これも釈然としません。
友達を守りたいという気持ちは分かります。
ですが、戦争は人に例えるなら、強盗の様に加害者と被害者を単純に分けられるような犯罪というよりも、喧嘩の色合いが濃いと思います。
両者の言い分が食い違い、最初は話し合いをしていたが、次第に口喧嘩に発展し、しまいにはお互いに武器を持っての殺しあいになります。
喧嘩も戦争も、完全なる正義と完全なる悪の戦い等ないのではないでしょうか?
お互いに正しいと思っているから喧嘩になり戦争になります。
友達と道を歩いていたら友達と知らない人が口論になり、しまいには殺しあいを始めてしまったら、一緒になって知らない人を殺そうとするのではなく、止めようとするのが友達なんじゃないでしょうか?
ですが、止めようと説得をしていたら知らない人がこちらに殴りかかってきました。
その時は正当防衛の範囲で叩きのめせばいいです。
なのでその時相手を叩きのめせるための力はやはり必要だと思います。
まとめ
僕は基本的に戦争反対で、自国を守るために必要な武力は持つが、自国を攻撃されない限り武力は使わない、これが僕の理想です。
だから集団的自衛権には反対です。
無知なりに考えてみました。
無知であっても考えて、国民全員が自分の意見を持つべき問題だと思います。